枚岡神社〔ひらおかじんじゃ〕御祭神と略年譜
東大阪市にある枚岡神社も、私にとっては縁の深い神社と言えます。
秋祭りには布団太鼓のお神輿が繰り出して、なかなかの賑わいです。
2年ほど前に赴任?した新しい神主さんは、どうやらお祭り好き?
・・・という噂が(笑)。
毎年行われている境内薪能は、能舞台をバージョンアップさせたり、
ネットでの広報やブログの充実を図るなど、神社の発展にかなり精力的に
貢献されているのを感じます。
【 枚岡神社 】
大阪府東大阪市出雲井町7番16号
『御祭神※』
第一殿 : 天児屋根大神〔あめのこやねのみこと〕
第二殿 : 比売大神〔ひめかみ〕(天児屋根大神の后神)
第三殿 : 経津主命〔ふつぬしのみこと〕
第四殿 : 武甕槌大神〔たけみかづちのみこと〕
「略年譜」
神武天皇紀元前3年、『天種子命(あめのたねこのみこと)※』が、祖神の天児屋根神
〔あめのこやねのみこと〕を『神津岳〔かみつだけ〕※』の頂に一大磐境(磐坂)
を設け祀る。
650年(白雉2年)、中臣氏の支流の『平岡連(ひらおかのむらじ)※』により、
現在地に奉遷。
768年(神護景雲2年)、『奈良の春日大社創建※』の際、祭神二柱を分祀。
778年(宝亀9年)、春日大社から武甕槌命と斎主命の二神の分霊を奉斎、四殿となる。
859年(貞観元年)には『正一位※』に叙せられ、『延喜式※』の『名神大社※』に。
800~1300年頃(中世時代)?、『一の宮制度※』の成立と共に、「河内国一宮」
と呼ばれる。
1056年(天喜四年)、1247年(宝治元年)に火災、其の都度近郡の氏子などにより造営。
1579年(天正7年)、織田信長の兵火により類焼。
1602年(慶長七年)、豊臣秀頼が社殿を修復。
1826年(文政九年)氏子の総力を挙げての修造。
1871年(明治4年)、神宮寺等が廃され『官幣大社※』に列せられる。
1989年~1992年(平成元年~3年)、平成の大修造(現社殿)。
右から第二殿、第一殿、第三殿、第四殿となります。
「本殿」
市指定文化財の本殿は、『枚岡造(王子造)※』と呼ばれ、1826年(文政9年)に
近郡の氏子の奉納により造営された四殿並列、極彩色の美しい神社建築です
(平成3年に大修造)。
・・・いやぁ~。
さすが河内国一ノ宮と申しますか、歴史がしっかり残っているので、略年だけでも
長くなってしまいますねぇ(汗)。
今回、本殿を中心に年譜を記載しましたが、鳥居や摂社・末社も含めると、もう、
大変な感じですので(笑)、注釈、概要などは次回以降に分割してメモしていこうと
思います。
『御祭神※』
第一殿 : 天児屋根大神〔あめのこやねのみこと〕
(日本神話に登場する神で、春日権現〔かすがごんげん〕とも呼ばれる。
古事記では、天照大神が岩戸隠れした際、はじめてお祭りを行い、祝詞を
奏上されたとして「神事宗源(しんじそうげん)」の神と称えられる。
「日本書紀」神代巻に「中臣の上祖(とおつおや)」「神事をつかさどる
宗源者なり」と記され、古代の河内大国に古代の河内大国に拠点を置き
大和朝廷の祭祀をつかさどった中臣氏(のちの藤原氏)の祖神(氏神)
とされる。
また、天孫降臨の神話では、皇孫を助け斎ひ護るようにとの神勅により、
その重責をはたし、「天孫輔弼(てんそんほひつ)」の神とも称えらる。)
第二殿 : 比売大神〔ひめかみ〕(天児屋根大神の后神?)
(比売御神〔ひめみかみ〕とは特定の神の名前ではなく、主祭神の妻や娘、
あるいは関係の深い女神を指し、比売神(比売大神)、比咩神などと
書かれることもある。
ここでは后神、天美豆玉照比売命〔あめのみづたまてるひめのみこと〕
ではないかとされ、内助の功績多く、良妻賢母、女性の鑑と仰がれている。)
第三殿 : 経津主命〔ふつぬしのみこと〕
(『日本書紀』のみに登場する神で、 別名、斎主神〔いわいぬしのかみ〕、
伊波比主神〔いわいぬしのかみ〕、『出雲国風土記』では布都怒志命として
登場する。
神話「国譲り」では、見事にその役を果たされたことから、武運守護の
大神とも仰がれる。
神名の「フツ」は、刀剣で物がプッツリと断ち切られる威力を神格化した
とする説、あるいは「フツフツ」と沸き上がり「フルイ起す」であるとする説、
また、建御雷神が神武天皇に与えた刀を神格化したものとも言われる。
一般に、奈良の石上神宮の布都御魂神と同一神と考えられ、中臣氏との縁深い
神として知られる。)
第四殿 : 武甕槌大神〔たけみかづちのみこと〕
(「古事記」では建御雷之男神・建御雷神、「日本書紀」では、武甕槌、
武甕雷男神などと表記され、建雷命と書かれることもあり、文字通り
「神鳴り」のような猛々しさを表す。
別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)とも呼ばれ、
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)に祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)
とも呼ばれる。
伊邪那岐命の御子で、天照大神が豊葦原中津国統一のために三回目の特使
として選ばれ、見事国譲りの大業を成し遂げたことから、開拓・平和外交の
神としても崇められる。)
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